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「たとえば、世界の始めにおいて、姥捨て寸前の老人たちがそれぞれ一枚の細長い紙切れを発行し、それが消費財一単位と同じ価値をもち続けることを未来永劫にわたってひとびとに信じさせることに成功したと想定してみよう。そうすると、老人は実質的にはなにももってないにもかかわらず、この紙切れを若者に差し出すだけで一単位分の消費財を受け取ることができることになる。なぜならば、この紙切れを受け取った若者は、それをじぶんが年老いる次の期において若者に差し出せば、代わりに消費財一単位を受け取ることができるからである。」(岩井克人『二十一世紀の資本主義論』pp.245-6)

「それ[サミュエルソンの「世代重複モデル」]は、このように実体的な働きをする貨幣そのものは、それが未来永劫にわたって貨幣とみなされるから貨幣であるという自己実現的な予想の産物にほかならず、なんの実体的な裏付けももたないバブルであることも示すことになった。」(同p.253)

資源を効率・合理的に使う「希少性の経済学」は貨幣の価値転倒により「過剰性の経済学」と変身する。錯覚してはならない。年々の生産物は翌年に繰越されるのではなく、今使われ、貸し借りという「価値」に変換され繰越されるだけだ。それはまさに「ないもの」が「あること」になる過剰性の経済なのである。

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