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「「性は善である」という主張・・・はキリスト教的なオプティミスムとは異なるものであった。なぜなら、孟子は、どこか(たとえば本質や、生得的な次元である本性)に最善の状態があり、そこに戻りさえすればよいと考えたり、あるいはそこに必ず戻ることができると信じたりしてはいないからである。その反対に、孟子は、「地上に悪がある」ことを前提にした上で、それでも「性は善である」とあえて主張することで、この世界に善を実現する橋頭堡を築こうとしたのである。/次に、「性は善である」と言う主張は、この世界の彼方に超越的な次元を設定することでもなければ、個人の「内面」を設定するものでもない。あくまでもこの人間の世界において、善を実現しようとするものであり、しかも、他者との関係において実現しようとするのである。」(中島隆博『悪の哲学』筑摩選書2012年、p.104)

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