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【物質的な生命(<第一の生命>)の否定】
「だが、「ヨハネによる福音書」の後半にいたって、突然それが霊的な生命(<第二の生命>)による説明に変化する。おそらく、以下の部分は後世の編者による異質な思想の混入なのではないか。

命を与えるのは"霊"である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。(「ヨハネによる福音書」6:63)

ここで突然のように出現した「霊による永遠の生命」というキイ概念は、パウロの出現によって尖鋭化される。周知のように、パウロこそ、ニーチェがもっとも嫌った人物のひとりだった。」(小倉紀蔵『弱いニーチェ』筑摩選書2022年)

来世での救済の代わりに捨てられた此岸での生きる意味にもう一度光が当てられるのは、宗教改革の時代、カルヴィニズムの予定説においてである。

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