いま話題の『哀れなるものたち』で、ベラがパリの娼館で働き出して間もない頃、「女の方が客を選んだらどうか?」と提案して、経営者の年輩女性から「それでは商売にならない、女が嫌がっているのを喜ぶ男もいる」と諭される。そもそも働く決意をするのも「お金が必要だから」だ。(そして、唯一ベラに同調した女性は、経営者から「無料で口でのサービスをしてやれ」と命令されて拒否する権利もない)
ベラの性的な目覚めにフォーカスするあまり、この「女性が生活費を稼ぐ方法が性売買くらいしかない」という【選択肢の無さ】を見落としている人もいる気がする。
ベラは「私たちは自分たちの生活費を自分で稼いでいる」と誇り高く宣言して社会主義者の集いへの出かけていくけれど、それは金の力で彼女を縛りつけようとするダンカンへの「お前なんか必要ない」という宣言であって、「性売買に誇りをもっているのです」ではないだろう。

大吉原展を批判している方々の中に、現代の性売買については「一律批判するのは差別、性嫌悪」みたいな感じのひとが割といるので、吉原を別物扱いするのも「江戸アメイジング」と表裏一体だと思いますけど…っていう。

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