「家父長制に加担」とか「ヘイトに加担」とか…みんな好き勝手言うけど、社会構造から「いち抜けた」はできないんだから、厳密な意味で加担してない人間なんていないんじゃないの?って思うし、簡単に他人を「差別主義者」呼ばわりする人たちは、自分たちの内なる偏見とはどのくらい向き合っているのか?といつも思う。相手を「差別者」とレッテル貼りすることで、自分と彼らの間に線を引いて、自分は無謬であると思い込む姿勢に問題がないのか、そういう逡巡がない人間が「差別」に「加担」してないとは思えないのだけどね。
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