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選挙にかこつけた性差別人種差別の陳列ポスターは民草でもって問答無用で剥がそうやの件、「現状その行動により現実的に予想される個人の人生へのダメージがでかすぎるだろ」という気持ちと「にしてもそれが違法だろうが良心に従って行動する人の絶対数があんまり少なくないか?」という気持ち、どっちもある

私これが地元で起きてたらイベント感覚で嬉々として剥がしに行ったかもしれん 無職の無敵の人で家族が左翼だから←こういう条件がないと普通に守るべき生活があったりする人には無理でしょ

特に日本には「自分の生活なんかより神かけて守るべき良心があります」という精神性や倫理観が培われるような宗教的基盤がないというのもあるよねアナーキーな行動者の少なさ 教育も上から下へ従え系だし

傘連判状形式でみんなでやればいけるのでは?→その「みんな」が自然発生的に十分に集まらないならやっぱりそもそも数が少ないんじゃないかと思うんだよな…

私のこれ良心に従うというより「人に褒められるタイプの違法行為チャンスは逃したくない」という欲望によるところが大いにあるな…

私の中からそれってヒロイズムであなたの欲望では?とそうであったとして何が悪いのか?とその場その時はよくても例えばのちのち他人を巻き込んで「活動」になったとき悪い要素として浮き上がってくるものではあるよね?という声がするぞ

転じて「なんでやらないの?良心ないの?」と他人をなじる気持ちの中にあなたの欲望があるのでは?という気持ち

欲望だから悪いっていうことじゃないけど、その「なんで?」に誰に何を何と天秤にかけさせる効果があるのかに思いを馳せたとき、自分ならそういう天秤はどんな場合にどんな言葉でどういう動機で突きつけられるだろうかということも同時に考えられたらいいなと思う 「つまり他人にそんな選択を迫るな」と言いたいわけでもなくて、どんな問いだろうが応えられる理念が心にあるため葛藤はない、って立場でも全然別にいい

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