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マイブロークンマリコもだし鳥トマトのアッコちゃんとかもだけど、あの作品群が発表された当時は怒りの表明、無数の怒りが現にここにあることを世の目の当たりにさせなきゃ気が済まんというエネルギーの発露としての創作が読者の我が身を深く大きく震わせた、共振・共鳴する怒りによる癒しの効果があったのは確かなんだけども、でもこの子たちは、漫画の中のこの子たちってそこまで滅多打ちに壊され尽くさなきゃいけないの?このキャラクターたちは我々のセラピーのため作劇のために敢えて希望を取り上げられたのではないのか?「救いのない話」に怒り涙するのはあまりにマッチポンプな消費の仕方ではないか?って気持ちがあったから、「勉強はきっとウチらに平等だ!」はではその怒りを何に使うべきかとか、不平等で勘定の合わない現実を誰の目線で見るべきなのかとか、物語を受け取った我々の以後の心の向かう先は絶望でなく希望であれという祈りがこめられている気がして、ありがたいですね 今読みたかった漫画を今読めた喜び

鳥トマトに関しては「作劇のために現実に生きる属性を利用する」タイプの漫画描きだと感じちゃってその姿勢を全く尊敬できんし実際トランスフォビアをバッサバサに煽った結果に対して無言でやり過ごしたことについてもまあ許せんなって思ってるし逆算して因習村もアッコちゃんもどうやらマジでミサンドリーだけが原動力だったっぽいな…って思っちゃったのでたぶんもう今後作品だけ読んで評価するのは個人的に難しいんだけども、あのとき突如出現した、荒れ狂う怒りだけを武器にした漫画が衝撃的だったのはマジの事実なので…

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