しかし国際男性デーやら国際トランスジェンダー可視化デーがあるにもかかわらず、なんで国際女性デーで、女性のことが後回しになるんだろうね。この世で一番最後に残る差別は女性差別だ、といわれているのにね。この日くらいは女性のことから、全てを考えればいいじゃないの。男の俺がいうのも烏滸がましくて、まあ変な話だけどさ。ガザでは女性が狙い撃ちで殺されている、イランやアフガニスタン、ウクライナでも女性に対してむき出しの暴力が起きている。この日本は相変わらず性犯罪があちこちで溢れていて、しかも不起訴になるケースもままあり、家庭労働は労働には見做されず未だに女性に多くの負担がのしかかり、労働の現場では男女の賃金待遇格差は依然大きく、非正規雇用者の過半以上は女性というこの世の中でさ。なんで混ぜ込むのよ、他のことを。
しかもあの「声明文」は、そのベースに「世の中に起きている様々な問題に女性「も」目を向け連帯していきましょう」とかいう考えを置いているわけよね。つまり前提として女性差別問題ばかりではなく、それ以外のこと「にも」目を向けましょうって、話なんだよ。ある意味女性を自分のこと以外は知らない、考えていない無知なる集団みたいにして捉えてる。で、運動の運営側にはそういう人らを「我々が啓蒙する」みたいな欲望が見え隠れしている。しかもそこには何人かの男が混ざってる。なかなか醜悪な光景だよ、これは。乗っ取りどころの話じゃない。女性差別解消の為のはずの話が、何処かから今までとは違う「父親」が出てきただけじゃねぇかというね。