この「学者、研究者として「正しい側」でいたいという欲望、願望」というのは、怖いよ。今、ジェンダー関連の話題においても問われているでしょ、この姿勢がね。熊本さんが著作の中で述べられていた宇井さんに言われた話で、私が特に印象的だったのが「(科学的、歴史的にみて)勝てない運動に関わることは、学者としては損なのだ」という言葉。田舎の社会で市民運動拡散するには「造り酒屋のご隠居を味方につけたらその運動は勝ちです」と。市民活動の方針としてはとても興味深いけど、怖さもあるよね。土着的ポピュリズムの怖さ、というかな。今のネット上に置いて「造り酒屋のご隠居」は誰に当たり、その「味方につけるための方法」はなんなのか?ということを、日々、深く考えている