当時、編集部にいたゴリゴリの左翼の人たちのウケは悪かったけど、結局20代後半の時の考えと今の自分の考えに大きな変化はない。で、実際、今の日本は懸念していた通りの世の中の空気になっているわけだが、ゴリゴリ左翼の言動は、あの時と全く変わっていないわけである。自分の正義に揺るぎないのは結構だが、自分の正義が他人の不正義になることもある、という疑念がない人の正義ほど怖いものはない。なぜならそこには多数の人が納得できる理屈も、科学的な根拠もないからである。異論の全てを反動で片付けるか、外部化して切断処理して得られるものは自己満足と自己陶酔でしかない。そこで置き去りにされているのはなんなのか?そこを問いたい
因みにイリバーシブル・ダメージは2年前に読んでいる。あの仮説をどうとるか、でこの本の評価は決まるんだろうけど、ただその評価もいろいろ複雑で、例えば左派の心理学者クリストファーファーガソンは、出版当時否定的な書評を書いてたけど、その後、あの当時は下手に肯定すると失職の恐れがあったので、踏み込んだ評価ができなかったと反省しているように、それほどまでに左派側からの圧が強かったことは頭の片隅に入れておくことをお勧めしたい
個人的にはその後に出たザカリーエリオットのbinary、そしてタビストックスキャンダルを抉ったTime to thinkと読み繋いでから、再びイリバーシブル・ダメージを読み返すと、初読時とはちょっと印象は変わったかな、良い意味で。まあぶっちゃければシュライアは好きではないですよ、昔から。平素の意見もかなり違う。特にイスラエルへのスタンスに関しては真逆ですし。ただこの本では、当事者の声をよく拾ってるし、アメリカ国内の草の根で起きてることがかなり掴めるから、ここにきてデトランスした人たちからの訴訟が多発していた理由もよくわかる。決して読んで損はない本です。