今の日本国内で、一見左派的な主張と思えるものが何故かスムーズに法案化されたり、企業が抵抗少なく取り込み始めた場合、一度立ち止まり考えてみることをお勧めしたい。だいたいにおいて、その殆どは左派的な装飾が巧みに施されたネオリベラリズムそのものである。なんでかな?という疑問を持つこと、すごく大事である。
例えば拒否権を否定するための自己決定権の最大尊重、というのが一番わかりやすいパターンだろう。皮肉なことに普段は竹中平蔵を脱兎の如く嫌っていると思われる人らが、それらを推進していたりもするわけで(本人が全く気が付いていない場合もあれば、自説補強のためにわかってやっている邪悪なアカデミシャンや物書き、ジャーナリストもいるけども)今の日本社会、あちらこちらにネオリベの罠は仕掛けられている。
つまりは結論が同じだからと言って、動機も同じということはないということだ。異論を雑に扱わず、簡単に外部化して切断処理せず、よく見てみること。誰が言っているのか以上に、その動機はなんなのか。問うべきは、誰が、ではなく、なんのために、だ。そこもすごく大事である。