年始からタイムラインの片隅に、児童、女性の安全のために活動するNPO団体に対する攻撃の様があいも変わらず流れてくる。新年早々全くおめでたくない光景であるが、最近になるとその中に小池都政批判を展開している政治家、評論家もどきまで散見され、どうにも見るに耐えないことになっているが、攻撃者達の陣容が女衒やそのおこぼれにあずかってるのを筆頭に趣味や嗜好を拗らせた連中、そこに政治的企みを持つ輩が加わり、さらにペーパービュー稼ぎの守銭奴やらも参戦と、これぞ日本のインターネット!という本当に碌でもないことになっている。
そうした連中の共通項がミソジニー拗らせた奴らというこの地獄感。インテリがどうとか、学歴、職種全く関係ない話であり、ネットリテラシーがどうとかそんな高尚なことのずっと手前で立ち往生、みたいなこの国の前近代性をこれでもかと見せつける2023年である
元々、攻撃者達の背後には性搾取業界の連中が構えていて、その前に総会屋もどきも控えていて、この辺りの構図は実は昭和や平成の時代によく見た光景で、昔は専有屋やら総会屋を使い自分らの利益最大化を図っていた連中らも今は「ネットヤクザ」を巧みに動員して、しかも動員されている側にはそんな意識は全くなく己の理屈に酔いしれているという無惨な状態になっている。
右向けば、カルト信仰に勤しむ奴らや金の匂いに集うハイエナ、逆張り大好きのリベラリズムを履き違えた連中ばかりになり、左も左で自己決定権を錦の御旗にして社会的弱者達の力を削ぐ奴らが跋扈し、象牙の塔の中から規範を壊せ、撹拌せよと無責任に囃し立て、社会的絶対安全地帯から市井に生きる人らの背後から弾撃つことに快感覚える自己実現中毒者と、ほとほと嫌になる。しかも右も左も関係なくそいつらみんなが、科学的帰結を無視して、ダーウィン全否定のミソジニーという共通項を持ってるという悪夢のような展開。最後に残る差別は女性差別だという言葉の重さを噛み締める今日この頃である。
昨年末に、タモリが「新しい戦前が始まる」と言ったのはなかなかであったが、現実問題として既に新しい戦前は始まっていて、報道含めて社会全体で「起こせる戦争を探している」ような状況に陥ってるのは結構絶望的な光景だ。この年末に、かつて、日本の遠いところで戦争起こしたい欲望を隠さなかった、安倍晋三の後見人であったJR東海のドン葛西敬之の闇を描いた森功の「国商」を読んだが、葛西の望んだ社会、政治状況が、葛西とその最高の使いっ走りだった安倍晋三の死後に実現しそうになっているというこの現実をどう受け止めたら良いのか。我々に残された時間は思っているよりも少ない気がしている