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24年前の父の葬式の写真は今も飾ってある。父が母と一緒に宮崎の弟夫婦を訪ねたときの写真から取った。
だが、当時背景を削って立派な額にふちどられた写真となって返された父は…髪がいきなり逆毛をたてたようにふさふさになっていた。父はテッペンにほとんど髪がなかったのに。髪だと(修正した葬儀会社が)思った部分は背景の一部。父の棺の側で家族大爆笑。「お父さん、こんなアタマにされちゃって」と。ひとはこんなときにも爆笑できるから生き続けられるんだ、と今でも思い出す。そして、その唐突な笑いが必要なほど、弔いの風景は胸が痛むものなのだ、と。

写真はもちろんまた修正させた。だからわたしの家に飾ってある父の写真は元通りテッペンに髪のないアタマになっている。

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