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紙が高価であった当時、いったい中級官人の寡婦にして無官の貧乏学者である為時の女である紫式部に、これほどの料紙が入手し得たものであろうか。下書き用には為時の使い古しの反故紙の紙背を使用したにしても、まさか清書用にはそうはいくまい。為時にしても、大学の学生であった時には紙も融通がしてもらえたであろうが、無官となった時代には、どうやって紙を調達していたのであろうか。
こういう状況から、紫式部はいずれかから大量の料紙を提供され、そこに『源氏物語』を書き記すことを依頼されたと考える方が自然であろう。そして依頼主として可能性がもっとも高いのは、道長をおいては他にあるまい。

-『紫式部と藤原道長』 (講談社現代新書) | 倉本 一宏

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