これもう少し正確に言うと「改革」ショーが開催される、「劇場への動員に」だな。
極右が小林を担ぎ出したように進次郎も担ぐのにちょうどいい御輿というだけで、そのへんの連中が仕掛ける総裁選という名の興行に乗っかって騒いでいるのは、むしろメディアでありネット上なのよ(街中や職場でいきなり進次郎の話なんかしないでしょ)。
特にSNS(主にXだろうけど)は向こうにとってもありがたい存在だと思うよ、味方はもちろん敵も自ずから動員されてくれるんだもの。
難しい話だがやはり同じ土俵に乗らずに闘うしかないと思う。流れに棹さす心地よさに身を委ねるな。
この記事はアメリカの話だけど、たしかに討論会のような公正な場は政治家個人の素質をあらわにする。リーダーとしてふさわしいかどうかを判断するのに重要な機会だが、やはりそのとき見られているのも政策や言動以上に、受け答えの態度や立ち居振る舞いといった印象なのだ。
さらにテレビメディアを通して、手を変え品を変え伝えられることで、なんとなくの人物像が社会に共有されていくことになる。
昨今ではテレビに加えてネットでの印象というのもある。公正さを考慮しなければ、人の印象などいくらでも作れるし盛れるし誘導できるようになった。
Xなどはもはや、そのための道具として機能しているとさえ言える。釣り餌であろうと数字さえ稼げてしまえば、そのことがまた後の印象を補強してしまうことは、直近で言えば石丸がいい事例だろう。
逆に先日の進次郎の会見のときのように、印象を損ねる(あるいは株を上げる)ような質問をする記者は叩かれる。
共同幻想を上書きするほどの何かが起きなければ変われないのだとしたら、もう何もかもが手遅れだ。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240910/k10014578161000.html