『責任と判断』
ハンナ・アレント/筑摩書房

集団責任のところをあらためて読む

「独裁体制のもとでの個人の責任」のところも、とっても大事だ

集団の責任と個人の罪は別物だが、個人は集団に所属せずに生きることは困難なので、結果的に集団責任を負うことになる。
集まることの自由も、どこに属するかの判断も、独裁体制は許さない(選択肢があっても事実上強制される)が、その体制は判断する能力を喪失した個人の支持によって維持され、集団の責任は個人へ転嫁される。

そうして責任も判断も形骸化したままシステムだけが回り続けることで全体主義は完成する。これに抗うにはそのシステムから完全に離脱するか、正反対のものをぶつけるかしかなく、いずれにせよその終焉は破局的なものになる。

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よく考えたらツイッターがあんなのに乗っ取られてしまって、納得できない人から離脱していったのも同じだな。

マストドンはどの鯖に属するかも、どの人と交流するか(しないか)も自分の判断で色々設定できるし、もっと言えば自分で鯖を立ち上げることだってできるもんね。

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