【定義付けることの暴力性】
昨今の宗教カルト被害について、「カルトの定義はこれだ」とか「カルトでなく破壊的カルトと呼ぶべきだ」とかの【定義付け】をしたがる人がいる。けれどカルトの定義付けは、「本当のカルト被害とはこういうものだ」という被害者の定義付け/固定化/選別化をももたらす。結果、多くの宗教被害者を取りこぼし、救済から遠ざけてしまうことがある。宗教被害はもっと多様だし、カルトかどうかで括れないものがある。
宗教被害者にとって、そこがカルトだったかどうかはあまり重要ではない。もちろん「カルトだった」と認識することで自身の被害を受け止めるプロセスに至ることはある。けれど厳密にカルトと言えない、でも明らかに宗教を通して受けた被害は存在する。カルトの定義付けは、そういった境界線周辺の被害をバッサリ切り捨ててしまう。宗教はカルト化だけが問題なのではない。
自分がブログで教会での体験を書き始めた頃、「それはカルトとは言えない」とか「破壊的カルトの定義はですねぇ、」とかのコメントが飛んできたことがあるけれど、だから何ですか? としか思わなかった。自分の被害は事実だし、それが厳密にカルトに由来するものだっかたどうかなんてどうでもいい。目の前にある被害を一顧だにしない【定義付け】なんて滅びてしまえ。