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シーラッハを原文で読んでみると、酒寄訳というのは酒寄節であって、読者は訳者の調子に乗っけられるかたちなのが分かる。一つの分かりやすさで、悪いことではない。原作者がドイツ語で書いたことを、訳者が日本語で書くならこう書きますという感じ。ちょっと意訳しすぎではと思うことがあるぐらいに言ってしまう。

シーラッハには、正書法だとふつうピリオドで区切るところをコンマで続けていく、独特なリズムがある。描写の対象を変えていく流れが意識の流れになってるようなところもある。酒寄訳は、段落を変えたり、文の切れ目を変えたりして、ふだんこういう犯罪事件の小説を読むであろう日本の読者向けのテイスト気がした。

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