デイジー・ジョンソン 著『九月と七月の姉妹』(市田泉 訳)読了。
十ヶ月違いで生まれた、強固な精神的結びつきを持った姉妹の話。
シャーリイ・ジャクスンの『ずっとお城で暮らしてる』の姉妹が頭に浮かんでくる。
読み始めの段階で姉妹の異常性は察せられるのだけれど、徐々に明かされていく二人の世界は読み手をグッと惹きつける魅力がある。
姉セプテンバーに振り回される妹ジュライの目線と、姉妹と距離を置く母親シーラの目線で話は進んでいく。
心を病んでいると思われる妹の話は要領を得ず、狭い世界で姉の評価だけを頼りに生活している様子がうかがえる。きっと姉に喜んでもらうことだけが自分のすべてになってしまっていて、それが生きる意味でもあるのだろうと思う。
いつも仲が良さそうに一緒にいて、姉が甲斐甲斐しく妹のお世話をするから勘違いしそうになるけれど、横からなんでも取り上げていくのは支配に他ならない。
けれど痛みさえも分け合い、他人を必要としない姉妹に魅力を感じるのも事実。姉に忠実なジュライのこと、妹を分身のように扱うセプテンバーのこと、私は嫌いになれない。ジュライが姉に依存していたように、セプテンバーも妹のことを手放せなかったのだろう。
姉妹と母親の関係性が印象的なシーン抜粋。
" 嘘をついているのか見極めようと、セプテンバーの顔をじっと見る。彼女はときどき、わたしに嘘をついて楽しんだり、こっちが嘘を見破れるか確かめようとしたりする。ときにはただ嘘をつけるからつくだけで、わたしには理由がよくわからない。わたしは桃の入っていた空き缶をゴミ箱に捨てる。夕方の光が薄れていく。
その時、半分眠りに落ちたとき——セプテンバーが耳元でささやく声、廊下のいちばん奥の部屋で母さんが泣く声。半分眠りに落ちたとき——わたしの顔の両側に押しつけられるセプテンバーの指。"