遠藤周作 著『死海のほとり』読了。
終始重くて暗い空気が漂っているが、信仰のない私でも興味深く読めるキリスト教文学。
幼い頃に親に洗礼を受けさせられたという主人公は小説家。どこか著者の姿に重なる。
一方、主人公の友人・戸田は学生時代に洗礼を受け聖書学者にまでなっている。
この二人がエルサレムで巡礼の旅をする物語。
二人がいる現代とイエスの時代が交互に語られ、徐々にイエスが身近に感じられてくるのが不思議だった。よく知るキリスト像に命が吹き込まれたかのよう。
そして二人も会話の中で「あの男」とか「あいつ」と呼んだりするので、よりその感覚は増す。
愛で腹は満たされないし病は癒えない。奇蹟を起こせなかったイエス、弟子にも棄てられた惨めなイエス、そういう姿が徹底的に描かれている。
深い愛を与え続けた同伴者としてのイエスは、昔も今も変わらないのかもしれない。
ナチスの強制収容所も主人公の人生を考える上で大きく関わってくる。フランクル『夜と霧』の報告を元にした話もあった。
あとがきで知ったが『イエスの生涯』は本小説と表裏をなす作品とのこと。先に読んでしまった!本小説の後に読んだ方が、著者の解釈が順序よく知れて良いと思う。
主人公の友人との会話抜粋。
"「あんただって、あの奇蹟物語を本気で信じてはいないくせに。華やかな奇蹟物語はね、あとでイエスを神格化するために、各地の伝承を聖書作家が織りこんだものだ。だがその奇蹟物語の隙間隙間に、人々や弟子からも見棄てられたイエスの話が突然出てくるだろ。それが事実だよ。本当のイエスの姿さ、イエスがもし力ある業を見せたとするなら、なぜ一年後に彼は皆から見棄てられ、ガリラヤを追われたのか、考えてみろよ」"