アクセシビリティは担保されているべきだ、とは思うけれど、無償でサービスすべきであるとは思わなくて、むしろ「きちんと対価を払って整備されるべきものだ」という「社会」でないとセカイはよくならないよな

それはその通りだと思います。が、最近は「受益者負担」みたいな考えが幅を利かせていると感じていて、そうなるといつまで経っても状況は良くならないよなと思います。

それではよくならないですよね……!ボランティア精神も美しいとは思うのですけど継続性はないし、人依存でしかない。
社会構造ごと変えていきたいです。。。

社会構造、変えたいですね。
それには社会を構成している個々が持っている感覚を変えて、短期的に自分に利益があるとは言い切れないものに対する負担を許容するような人を増やさないといけない気がしてます。けど、そういう人が増えるためには、例えば自分が払ってる税金が無駄に使われていないという確信が持てるとか、そういう社会に対する信頼みたいなのがもっと持てるようにならないといけない気がしてて、社会を変えるためには人を変えることが必要で、人を変えるためには社会を変えることが必要で、みたいなループに陥ってしまいます。

個々人の意識もそうだとは思うのですけど、例えば(非アクセシブルであることは不便を強いていることでもあるのに、使えない側が代金を支払ってそれを補うのはおかしいことなので)企業側がきちんとそれを把握して、きちんと改修への対価を専門家に支払って、アクセシビリティを担保していくということも必要だと思うんですよね、、、社会として。

というような話しをちょうど、辻さんのAccessiブランチで話してたのですよね〜〜〜。

我々は小さな歯車でボトムアップの動きもできるとは思うのですけど、そろそろ企業側へ動きかけることができないかなぁと思って昨日のポストでした、、、

ああなるほど、そうですね。
アクセシビリティー関連の動きって、基本的にボトムアップでやってきたもので、ボトムアップの限界みたいなものを意識するようになって久しいというのが個人的な印象です。
これは社会全体においてもそうだし、小さな組織の中でもそうで、どうしたものだろうと日々考えてます。

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そうなんですよ!限界が来ているのですよ。ボランタリー精神自体は美しいのですけど、それだとただ誰かが頑張るだけで持続性がないのが課題だなぁと思ってしまうのですよね。。。
その上で我々が関わるウェブ分野は結果的に非常に小さなことなので、最近私もモヤモヤしているところです

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