多くの「大人」を説得するために身に着いた癖が私自身を苦しめている 根拠を提示して確実性を主張しなければ始めることができない逃げ腰野郎になってしまった ずっと「大人」に強要されてきた「普通」に舌を出し続けてきたくせに,「利口」にもなってしまった 大人を納得させる狡さを知ってしまった その狡さに甘んじて私の衝動性は沈黙した 「いつか」の時は来ないかもしれないと衝動は知っている 今,アカデミアに所属して思うのは「なんでもやっていい」-結果を出すことに執念を燃やせるなら-ということだ おそらく万人が目を見張るような結果が生まれる根源にはこの衝動性が不可欠な気がする 理屈や正当性から生まれた結果は整いすぎていて風化しやすい それは最初から「分かっている」ものだけで構築されているから 綺麗すぎるのだ 衝動は整った結果を必ずしも要求しない だから誰もがその異質性に目を見張るのだ つまり つまり 衝動を持ってるなら飼いならすより自由にさせてやれということだ 他人の衝動と比較するな,自らの衝動が赴くままに,そのたてがみをしっかりと握りしめて駆け抜けてみたらいい
で,こういった秋田ひろむの美しさや素晴らしさに心震わせる度にずいずいと主張してくる私の気持ちがあって 音楽やってみたいという 歌ってみたいという気持ちがある 気の迷いだと何度も自分の肩に手を置いて,進むべきはこっちだと姿勢を正してきたのに,そうするたびに私の「やりたい」はいよいよ頑固に,「気の迷いなどではない」と大人の私を睨みつけてくる 本当にやってみるの?どこまでやるの?秋田ひろむがいかに幸運だったか,センスに優れていたか,若いころからそれだけに触れてきたか,心底から虜になってるお前はよく知ってるはずだけど これまでの彼や彼らの軌跡から簡単に手を出して簡単にやっていけるものではないと知ってるはずだけど なんて思ってる時点で自分はずいぶんつまらない人間になってしまったなぁと落胆してしまう 「大人」にさせられてしまったな 大人は諦めるのが早い 大人は自分の人生の終わりが見え始めているから始めるのも遅い それでいいのか? 本当にそれでお前は幸せに死ねるのか?
秋田ひろむはそもそも作曲,作詞のセンスに優れているのだろうが,出羽さんという鬼才に出会ったためにいよいよその才能が,その芸術が,万人に共通した孤独になった ひとりの孤独から始まる芸術が,突き詰めた果てに万人に共通する孤独となりうる例である 秋田ひろむも出羽さんも欠けては成立し得ない音楽がamazarashiという共同体なのであるのだとアルバムを聴いて思う 出羽さんのアレンジで秋田ひろむの歌詞やメロディは更にその魅力を引き立てられているのが分かる 沢山の偶然が積み重なって「幸運だった」と自らを評する秋田ひろむの謙虚さが私は大好きだ もっと舞い上がったっていいのに もっと調子に乗ったっていいのに 本当に優しくて慎ましい芯を持った人
なにしよっか