この記事、BTで回って来たので読んでみた。母としての葛藤など、深く共感できる点が多いけど、ひとつだけ自分と著者との間に相違がある事に気づいた。

おそらく著者の言う「母というペルソナ」が「きっと隙があれば静かにあなたと同化する」という点で、今自分が同化した状態だからなのかな?

明らかに今言えるのは、自分は出産前の自分より、今の自分が断然好きということ。それは出産・育児によって成長した自分が今いるから。

そして、人生の次の段階に登り始めてるからなのかもしれないなあ。

いわゆる未来を明るく見つめてるからなのかもしれん。

digital.asahi.com/articles/ASR

日本社会の「母」の足枷、非現実的な理想の母を演じないといけないというプレッシャーがアメリカとは比べ物にならないくらい強いせいもあると思います。加えて、日本では一つのことに打ち込むのが美徳とされるから、(スポーツでも音楽でも、一つの種目、一つの楽器に絞らされますよね)「母」のペルソナを被れば、それ以外のペルソナを持つことが許されない、そんな束縛もあるんじゃないかしら。

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@Narako 私もふとそれを思いました。やはり社会構造の違いで、こんなにも受け止め方が違うのでしょうねえ。

まあ、私も苦悩した過去があるので、筆者のそういった側面も理解できますがね。

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