《小川軒はオツクス・テエルと称する牛の尻尾を煮たのがいい。大きな皿に牛の尻尾をぶつぎりにしたのがごろごろしてゐて、その廻りにこつてりしたソオスが皿の外まで溢れ掛けてゐる。牛の尻尾といふのは、何だか知らない軟かな、透明なものと、肉とが混り合つたもので、噛むのに骨が折れないし、変な臭味があつて旨いし、小川軒では、頼めばアメリカ式のではない本ものの辛い芥子を付けてくれる。ビイルを一本飲んでゐるうちに出来て、これにはかういふ食べ方がある。先づ肉を骨から剥がして、一面に芥子をなすり込み、それから一口分位づつに切る(エチケツトのことはこの際、問題外である)。それから持つて来た本を開いて、何と言ふのか、塩だの胡椒だのが入つてゐる壜を載せた小さな台が卓子毎に置いてあるのに立て掛け、オツクス・テエルの皿で本の下部を抑へて、本が閉ぢないやうにし、それから右手にビイルが残つてゐるコツプ、左手にフォオクを取つて、読みながら飲んで食べる。お行儀だけでなくて、衛生学的にも余りいいことではないかも知れないが、兎に角、いい気持である。》
「満腹感」、『吉田健一著作集』第2巻(集英社)p.238*ほんとは漢字は旧字。昭和28年初出。
今さらながら、これくらいは軽々引用できるのな。まだSNSに向かうと頭に140字の枠が自然とかかる。
《オツクス・テエルの皿で本の下部を抑へて、本が閉ぢないやうにし、》というのがとくにいい。わたしはまったく酒が飲めないけど、ビイルというのもきっといいものなんでしょうね。