例えば若年女性保護ボランティアや個人に対する性暴力、任意の団体組織におけるセクハラや正規・非正規問わない労働問題への対応、心身のハンディキャップに関する企業国への働きかけ、これらへの支援、デモ活動などもまさしく草の根の活動なんだけど。
政治的ラベリング、あるいは「他人へ迷惑をかけたくない」と言ったぼんやりとした「ただ善人でありたい」だけのあなたという「個人の善性」、前述の活動を草の根運動と思わないどころか、迷惑行為と捉え、どこかで蔑げすみ避けていた結果いまのtwitterや左翼の衰退があるとは思わないんですかね
コーヒーを飲み豆を買い、談話をする。政治の在り方や生活と無関係なところで票が獲得できる、もしくは票を獲得できてしまう安寧を草の根活動と呼べる、あるいは共感できてしまう自己の立場。明らかに社会的マジョリティに所属する、特に何かしら権利が侵害されているわけでもない、(社会に不満はあっても)満ち足りた側の人間の言い分ですよ。そういった自覚のなさの先にtwitterの若年女性保護ボランティアに対するバッシングがあるんじゃないですか。自らが満ち足りた側とは知らないから、例えば女性や老人、性的マジョリティによってオタクは侵害されていると本気で信じてしまうように