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菅野カラン『オッドスピン』第3巻を読む。一読して「何だったんだ?よく分からん」という印象を持つ。これは作家が下手なのか、それとも自分が読み切れていないのかと一度立ち止まってみる。一般向けのマンガの文法に則っていないだけかも。

今度は第1巻から再読してみる。やはり面白い。けれどすぐに分かるタイプの面白さではたぶんない。じゃあ読み切れていないほうだなと思って、珍しくもう一度読み直してみると、面白いことは分かるんだけどこれは何なのかということがよく分からない。

考察サイトをいくつか読んでみて、分かったような分からなかったような。

双子の娘が、母親(たぶん毒親)の「所有するという感覚」から脱出するために、地面師になる。書いてしまえばそういう話なんですが、余白の多いタッチといい、表情の乏しさから感じるオフビートさ、それでいて「そういう心の機微も見てみたい」という気持ちをかすっていく描写とか、綜合すると結局よく分からないものになっている。でも面白い。

ここの著者インタビューで、平田オリザの言葉「演劇においては『愛している』という台詞を『愛していない』という意味で使うことができる」を引いて、台詞の距離感に言及している。敢えて言えば、その距離感が気持ちいいのかも。
gendai.media/articles/-/124482

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