例の大学のアメフト問題に関して、部に所属する1年生のプレイヤーが廃部反対を訴えている記事を見た。組織としてみればタックル問題に続いて大麻問題を生じてしまったことは見逃せないし、構造的問題へのけじめとして廃部が選択肢に上がることは納得できる。一方で悪事に関わっていないプレイヤーを責めたり、連体責任論を押しつけることの問題も理解できる。こういう単純ではない問題こそが社会の問題だと思うわけです。
話は変わって、かつて留学生と日本人学生を交流させてきた立場からすると、既視感がある。「自分は戦争で何があったか知らないけれど、あるいは昔の日本人が戦争で迷惑をかけたかもしれないけれど、そういうのとは関係なく仲良くしよう!」、これ中国や韓国の学生と交流しようとする日本人学生に一定数出てくる典型です。そこから「若者同士の健全な交流」まで育つ場合もあるけど、寛容な留学生もだいたい凹みます。(1/2)