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比較言語学の射程は、概説書によれば6000年前くらいまでいけるというから、たかだか1200年前などは「新しい」とさえ言えるという言語学からの批判も当たらなくはない。日本語の歴史研究から書き改められた「国語史」は、どうアップデートされるだろうか。そのとき「国語教育」のなかで日本語の歴史を学ぶことは、どんな意味を持ち得るだろうか。近代国語の制度設計は、日琉祖語をどう扱うだろうか。などと疑問が尽きない。

私がそういう学び方をしてきたからだと思うが、どうも言葉の学問を実体的なものとして見ず、観察者による構築的なものとして見るきらいがある。科学的な手法によって実体的な真理を突き止める手法は旧来の人文学にはあまり好まれないようにも思う。もちろん比較言語学的手法は観察者に委ねられているのだが、文献だけでなくリアルに存在している方言によって強く根拠づけられる話にどこか衝撃を受けたのだった。この方面の発展が、国語教育にもそういう衝撃を与えることになるかどうか。(4/4)

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