統一協会攻撃の代替手段かつ究極の自助としての安倍晋三殺害の件、また昼寝猫氏による塚田穂高氏の論考への考察、そして宗教的信念としての「天皇制=反共」と「通俗道徳」=「弱者は弱いことそのものが罪かつ罰となる」との認識を日本社会の主流派が持つこと、また日本社会がそれを内面化させる構造を持つことから以下のような仮説に至った。
日本社会の主流派は自らを中道・中庸との自己認識を持つがその志向する政治姿勢は常に右派、ものによっては極右である。
また自らが中道・中庸であるとの自己認識には右派・左派を劣ったものとして見下す認識も含まれている。
これは政治的ではないことが政治的であることよりも上位であるとの認識の裏返しでもある。
かれらの一貫する姿勢は基本的人権の嫌悪、また弱者への憎悪であり、それは無自覚に内面化させられた宗教的信念の実践でもある。
そしてこの無自覚に内面化させられた宗教的信念には天皇制が構造的に持つ東アジアへの差別・蔑視も含まれている。