もう一つ異なる点も気付いた。
自分は神の如く善良で完璧な第三者は存在しないと認識している。
だから東京電力福島第一原発事故の処理水/汚染水については複数の第三者同士が相互に監視し反証可能な構造もやはり必要だと考えている。
これで第三者による意図的な紛糾を予防できるから。
第三者そのものの不完全性に気が付いていても相互監視と反証可能な構造の必要性の認識がなければ第三者を介在させても紛糾するだけだし、その経験自体が第三者による監視と反証可能性の担保について躊躇させ忌避させる。
この経験はデータの科学的な正しさがそのデータの提出者の人格の正しさも保証すると誤謬させる。
相互監視なき第三者の介在による紛糾への嫌悪感によって正しくないデータの提出者=人格もまた正しくないとの認識を持つから。
結果、科学的に正しいデータの提出者は無謬であるとの無自覚なバイアスを持ってしまう。