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前BT まっさらな気持ちで泉健太の発言・行動を見てるとまずきわめて「普通の日本人」(天皇制を宗教だと認識しないまま信仰する仕組みに耽溺している≒知的怠慢)。
乃木神社初詣への小林節先生の論理的な批判はもとより、まともな批判にすら答えられず息苦しいですねと逆ギレかましたしな。

で、その場その場で相手にウケるだろうことを浅い理解で発言するから繋げていくと矛盾が露呈する。
だから「普通の日本人」はともかくとしても交渉相手、代理人として信用できない。

また新自由主義に対するシンパシーは立憲民主党の中ではきわめて高い方だと見ている。
でなければ維新にラブコール送らない。
国会議員の身を切る改革だなんてアホなことしない。
あれこそまさに政府そのものを問題だとして弱める新自由主義なんだし。
あとはアメリカ民主党への憧憬な。
マイケル・サンデルが「実力も運のうち 能力主義は正義か?」にてトランプにアメリカ民主党が負けたのは教育による能力主義を経ての格差の正当化≒プライドを奪うかたちでの新自由主義の肯定をしたからでもあると指摘してたが、泉健太は今まさにこれを目指してる。
つまり政治家としての能力不足が明らか。
ここから他党への蔑視・軽視にも繋がってる。

そもそもな。泉健太らが落選して立憲民主党が議席を減らしても

立憲野党が議席を増やせば一有権者としては問題ない。

泉健太落選の方が立憲民主党は党としてようやく方針転換できるのでまっとうな政治を求める一有権者としてはむしろ願ったり叶ったりだ。

あと立民(あえてこう書いてます)コア支持者が泉健太と同じく支離滅裂かつ自分勝手に態度をコロコロ変えるのは「『反共』>民主主義・基本的人権の擁護」を無自覚に内面化してるからでもあると見てる。

これは島薗進先生がこちらのツイートで指摘してることと繋がってる。
twitter.com/Shimazono/status/1

立民(あえてこう書いてます)コア支持者が泉健太擁護の文脈で支え合う社会の根拠としての社会的共通資本を持ち出してくるがこれの提唱者である宇沢弘文は能力と収入とのデカップリングを強く意識してるからな。
そしてマイケル・サンデルも同じく能力も収入とのデカップリングを意識してる。

ここを欠けさせてはいけないんだ。

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