中国の作品を評価すると「中国共産党を支持してる」かのように思える人って、日本の作品を評価したら日本政府への支持の表明だと考えてるってことじゃん。
ありえんくない?って思うけど、たぶん「日本の(日本語/日本国籍/日本ルーツの人による)作品だから好き」って基準で選んでる人も世の中にはめちゃくちゃいるのだ。

わたしもその基準で選んでるって思われたら嫌すぎる。きしょい
fedibird.com/@cutmr/1112846195 [参照]

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「中国の作品は嫌い」とまで思わなくても、たとえば「中国語はうるさい」「汚い」から、中国語音声のアニメを鑑賞することに抵抗があるって人は少なくないでしょう。

でも『羅小黒戦記』の字幕版が最初公開された時、びっくりするくらいみんな「中国語ってきれいなんだと分かった」って言ってた。
そりゃ、日本語だって訓練を受けたプロの声優やアナウンサーの発音を聞いたら「きれい」に聞こえるのと同じだと思う。

そもそも、日本人として日本で生きてたらきちんと中国語に触れる機会ってほとんどない。小学校のときから英語に対しては「かっこいい」「海外の」ことばとしてまじめに触れる機会があっても、中国語はない。
なぜかといえば、日本の国としての外交方針、あるいは旧植民地や国内の在日華人華僑の人たちへの向き合い方と無関係ではないとわたしは思う。

そう考えた時、わたしたちの「好き」「好ましい」という感覚すらも、政治や社会や慣習に影響を受けていないとは言えないんじゃないかと。
オタクは「好き」があれば細かい話や難しい話は要らないっていうけど、「好き」「嫌い」だってそんなに無垢で不可侵な感覚だとはわたしは思わないんだよ。

個人の私的な感覚や感じ方に介入するとかしないの話ではなく、社会的に「みんなに」好かれているもの、人気があるもの・ないもの、嫌われているものがなぜそうなっているのかに興味がある。

日本のアニメの主題歌が海外で評価されたり、スーパーマリオの映画が大ヒットすることで大喜びする人たちがいるのはなぜか。なぜアメコミ雑語りをする人間は後を絶たないのか。
「中国共産党は嫌いだけど」とか、「中国作品“だけど”よかったよ」とか、「エクスキューズを付けないと好きでいてはいけない」みたいなものが現に存在している事実がその裏にセットであるのではないかと思うから、原理を知って言語化したいfedibird.com/@cutmr/1113924368 [参照]

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