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ひと付合いの不幸 

嫌々ながらひとと付き合うというのをどこまで許容するか。

正直に言って、そういったものを許容していられるほど自分の人生に余裕はないと感じる。

忍耐強く我慢しつつひと付合いを遂行するのはあまりにも骨が折れる。
そして与える事の美徳よりも身を削られる痛みの方をより強く感じてしまう。

自分自身の幸福を他の誰かが用意してくれる訳ではなさそうだという事が歳を重ねるにつれ、一層強く認識されてくる。

痒いところに手が届かせるのはつまりは自分であって、親しい誰かという訳でもなさそうに思われる。

そう思う時、どうして自分の幸福の追求について不熱心でいられようか?

そしてしぶしぶひとと調子を合わせている時、にこやかな表情の裏では己の人生と生き方における不忠実と背信を自分が行なっているのを認識している。
つまりは不誠実な生き方をしていると自分は罪悪感に苛まれる。

コミュニケーションにおけるオンラインの優位性 

最近はオフラインのコミュニケーションにおける危険性というのを実感する事が多い。

オンラインでのそれにおけるミュートやブロックが、オフラインにおいても同様に実装されたら良いのにと思っているフシがある。

聞きたくなかったり、または不適切だと個人的に感じる内容をミュートできないのはオフラインのコミュニケーションにおける欠点のように自分には思われる。

危ないひとを避ける事 

世間的な立場から見て、あるひとがおかしく見えるのかどうかは分からない。
もしかしたら世間の人達はヤバいと認定しないのかもしれない。

しかしそのひとについて、自分の中の警報•アラームが鳴り響いているという場合にはそのひとから離れた方が良いのだろうと思う。

ヤバいと認定されていなかった場合には、離れなかった場合に自分が被りうる害について他者から全然理解を得られないかもしれない。

そしてその後、自分の感じ方がおかしいのだろうか等と悩み出したら……それは多分地獄なのではないだろうか?

付き合わない方が良い人間だとか、付き合う価値のあまりない人間というのも個人の価値観の内部においては存在するように思う。

付き合わないのが個人的な価値観においては正解だと思う。

紅茶と健康 

少し文明的というか文化的な生活をおくってみようかな等と思って、昨日はスーパーの紅茶コーナーの前をウロウロしていた。

その時に気付いたのはコーヒーの健康に関する影響については既に幾らか情報を得ていたと思われる一方、紅茶のそれに関してはあまりよく知らないという事だった。

知らないからといって買わないというのはやり過ぎだろう等と思って、取り敢えず紅茶を買った帰った。

帰宅後に少し調べてみると、ポリフェノールやら抗炎症化作用だのシュウ酸の話やらが出てきて全く知らない話ばかりではないようだった。

やはりコーヒーに比べて知識が少なかった事は確かそうだと思うが、紅茶に関しては普段あまり飲まないが故にそれに関連する知識を思い出すのが難しかったという事もあるのかもしれない。

余談だがコロナに紅茶が効くというようなコロナ禍初期の情報が出てきて、昔はそんな話も出てきていたな等と少し懐かしく思った☕

内容の把握をより容易にする為に 

小見出しというか、段落にも題名的な何かが付いていた方が読み易いのだろうはとは思う。

そして欲を言えば、それらを冒頭に載せて目次か何かのように概要を一望できるようにしておいた方が読み手には親切だろうと思う。

そして更に欲を言えば、その目次内では話の起承転結というか論理の展開を一望できるようにしておいた方が良いのではないか。 [参照]

長文との偶発的接触を避けさせる為に 

伏せて題名的な何かを付けるとのはやはり良さそうだと思う。
いきなり長文に遭遇すると気力が減退するひともいるかもしれないので。

読まされた、ではなく読む事を読者が意図的に選択したという形にしておく方が書き手はより気楽に書けるような気もする。

どこで予防接種を受けるか 

余勢を駆ってインフルエンザワクチンも打とうと思う。

どこで打とうか?

待合室でのコロナやインフルエンザ等への感染する確率が低そうなクリニックの標榜している診療科は、例えば小児科ではなく泌尿器科かもと思う。

後者の方が値段は少し高いが後者を検討してみようと思う。

聴きやすい編成 

複雑かつ聴きやすい音楽を作るには上2声と、旋律楽器を含む通奏低音があれば良いのではないかとふと思った。

聴き取れる旋律の数にも限りはあるだろうし、かといって旋律の数を減らすと和声を想像できずに聴き疲れがするのかもしれない。

3声は対位法的には充分だが、恐らく和声的に振る舞おうとした時にはやや不充分かもとは思う。
それを補う為に和声充填用の楽器を充てる。

上の2声だけでは多分対位法的に不充分かもしれないが、バスの旋律楽器による旋律を対位法的な線として用いれば3声対位法が成り立ちうる。

長い時には伏せてみる? 

長めの投稿をする際には題名的な何かを付けて、本文を伏せる形にした方が良いのかもと思った。

検索結果の中に出てくる自分の投稿は他の人達のに比べて場所を取り過ぎている気がした。

本文に段落がある場合には伏せるようにしておく、くらいでも良いのかも?

幸い、伏せられていても本文は検索に引っ掛かるようにも思われるのだし。

>>>自分の投稿を通報する人は一定数いまして……。

ここを読んだら、少し笑った後に元気が出てきた👍 [参照]

和声-理論と実習-Ⅲを少し眺めていた。

禁則を設定する行為自体の意義は分かるものの、その禁則が何故禁則扱いになっているのかという理由•根拠が示されていた方が良いだろうと思った。

権威への服従を要求されているかのように読み手が感じてしまう場合もあるのではないか。

商用化されているSNSよりも、非商用化されているSNSの方がもしかしたら安心はできるのかもしれないな。

しかしそれが安全かどうかは分からない。

利便性や責任の所在etc.も含めて考える場合には、商用化されていてガバナンス的な何かのしっかりしているSNSの方が安心安全なのかもしれない等と思う。

安全から安心が生まれると思われるが非商用的SNSにおいてはどうやって安全は担保されるのだろう?

検索機能、有難いな。
クラシックのワードを入れてもちゃんと色々引っ掛かる。

Xからfediverseに流れてきたものの、見える世界を上手く広げられずに戻っていったひととか割といたのではないかと思った。

検索に色んな情報が引っ掛かって楽しすぎるな……。

これがバージョンアップとやらの成果なのだろうか?

この他人が何にいいね★したかを知る事のできる機能は実はXの長所なんじゃないかと思ったりしているのだが、誰かこの見解に同意してくれるひとはいるのだろうか……?? [参照]

他のひとのいいね★を見られる機能とかないのかな……。

他のひとがいいねをしたポストを見るのは自分の視野を広げる上で結構重要だとは思うのだけれど、需要があまりないのだろうか?

そして、何にいいね★したかを他のひとに知られるのが嫌なひともいたりするのだろうか。

う〜ん、……あまり見られたくない内容の場合は適当に未収載などにしておくか……。

外部からの検索に対して公開設定にする事によって、自分は利益と害のどちらを多く受け取るのだろうか?

壁打ちしていればそれで良いような気もするのだけれど、確かに同好の士や興味深い発言をするひとと知り合えたら嬉しくも思うだろう。

自分が誰かを探しに行くという観点においても、X(twitter)では見掛けないタイプのひとと出会えるのかもしれない。

そしてそもそもXから流出したものの、まだ繋がれていない興味深い誰かというのも居るのかもしれない。

一方、twitterや何かのコメント欄のように見知らぬ誰かからいきなり攻撃される事もあり得るのだろう。

それらについては単にブロック等してしまえば良いだけの話ではあるのだろうが、心理的安全性が低下してしまうならば思った事を気軽に書きづらくなるのではという懸念を抱いてもいる。

twitter.com/SystemsVirology/st

新型コロナウイルスの進化の変遷の話。
3部に分かれている。

色々な変異体が出てきて何が何だか分からなくなっているひとも多いのではないかと思うのですが、経過の理解と状況の把握が感染対策を継続する意欲を湧かせるのではと思うが故にリンクを張った次第です。

展望を欠くと、感染対策が投げやり•疎かになったりしうるかと思いますので……。

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