自分のことを無知の極みであるかのように考えているので、人と話したり何かを言ったりするのは自分にとって非常に難しくそして大変恥ずかしい行為のように思われる。
では何かの知識を足したり、そういった知識の扱い方に習熟したりすればそういった恥ずかしさは消えるのかというと恐らくそうはなりそうもないという気もする。
他人との比較を通して無知を自覚するという面は恐らくあるものの、その自覚への反応の仕方というのも人それぞれかもとも思う。
自分の場合は他者云々をきっかけはしながらも他者を忘れて、単に無知に圧倒される感覚に焦点を合わせているように思われる。
どれだけ知れば安全なのか?
充分には知らずとも満足する術があるのなら、それを学ぶのは重要だと自分には感じられる。
というのも知識もお金と同様に飲めば飲むほど渇き、そして渇きを癒やさない飲み物のように感じてもいるから。