過去に関わった宣教師らに帰天している人が多いことにふと気がついた。
彼らと過ごした経験は夢の中の出来事ののように今となっては感じられる。
それ以外にもあれは夢だったのだろうかなどと思う過去の出来事は少なからずある。
過去の自分と現在の自分は断絶していないはずだが、どうも自分が通ってきた道だという気がしない。
自分が何らかの変化を遂げたのだろうか?その変化が成長に由来していなくて構わないし、退化のせいであるとはっきりした場合でも気にしないつもりではいる。
これはただの感想だが、トータルとして見た場合のこの人生についても夢の中の出来事のようだった等として後日の自分は処理しているのだろうなぁという気がした。