誰かを馬鹿にする時、知識の有無に着目するのはあまりフェアではないという気がする。

大人になって周りを見回すと、自分にとっては知っていて当然に思える知識のない人に出くわす。
そして相手も恐らく同じことを思っているのではないか。

共有していて当然の知識を持たぬ者を馬鹿にするという場合であっても、どんな知識がそれに相当するのか一意的ではなさそうに思える。

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ではどうやったら他人を馬鹿にできるのか。

知識によらぬとすれば、他に例えば生得的性質に基づいて判断することもできよう。
だが生来の性質が何らかの差を生んだとしてそれが何だというのだろう。
そしてそれは馬鹿にしてよい違いなのだろうか。 [参照]

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