検査は無事終了 

大腸内視鏡検査は異常なしだった。
気紛れに、病院に併設されている聖堂を訪れた。

夕暮れの光がそれこそ神々しく場を支配していて、あり得ないと思える位の静寂もそこにあった。
自分は俗世に暮らしているけれど本当は修道院か何処かで暮らしていた方が良かったのではないか、自分は来る道を間違えたのではという想いが脳裏をよぎった。

ふとアウグスチヌスが「取りて読め」という声に従って聖書を開き、所謂"照らし"を受けたという話を思い出した。
こんな時にそういう本を開いたら何処が自分の目に入ってくるのだろうという好奇心から「教会の祈り(聖務日課)」の本を取り上げた。
聖堂の後方の本棚にそれはあって、そこには聖書自体は何故かなかった。

「神こそわたしの逃れ場」……それはそうだが、どうもピンとこない。
暫く頁を繰っているとこれだというような箇所が見つかった。
「弱い時こそ強い」

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検査は無事終了 

hanafusa-fukuin.com/archives/2
↑このリンク先の解釈が恐らく一般的ではないかと思うが、特にここでの弱い時というのは検査の為に食事を抜き、そして下剤を沢山飲んでトイレに通い、漸く全てを終えて疲労と共に家路に就こうとしている自分の姿を指しているような気がした。
弱っている自分が訪れたのは聖堂であり、そこに強さというか自分を励ましてくれる何かを自分は求めていたのかもしれない。

実際、圧倒的な静寂と何処の教会を訪れた時にも大抵感じられる懐かしさ、それに真理の在り処を指すかのように聖堂内に入り込む夕日は自分を大いに励ましてくれたのだから、それを強さと呼んでも良いのではないか。
自分は何かの導きに従ってここへ呼び入れられたのかもしれない、そう思って自信をもって外へ出て行き、歩き出した。

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