https://toot.blue/@Ravenclow/110093815333315174
細かいようですが、
「かつて阿部謹也は、世界的にも極めて特殊な部落差別について『"世間"それ自体が差別的体系』だと指摘しており」
の箇所にひっかかりました。
全著作を制覇しているわけではないけれど、阿部謹也氏が日本の部落差別を「世界的にも極めて特殊」と(時代の限定抜きに)述べたとは、想像し難い。
私の理解するかぎり、西洋中世社会史研究に北欧神話の分析を取り入れて阿部氏が展開したのは、まず原初段階ではどの文化圏でも「世間」で生きていた人類がそれぞれの歴史の中でいかに「社会」へと移行したか(していないか)という比較史観、であり。また研究の深みはなくとも常識的な各種カースト文化などの知識を踏まえて、歴史学者が「世界的」特殊性を云々する際にはかなり綿密に限定条件を付ける必要があり、それらを抜きに引用されていたら気の毒というもの。
…これを書くためにとりあえず参照したある文章*(講演録・2014年)も副題が「世間と社会の比較研究」なので、ブームがあったようですね。
*) http://human.kanagawa-u.ac.jp/kenkyu/publ/pdf/syoho/no51/5107.pdf
>>>西洋中世社会史研究に北欧神話の分析を取り入れて阿部氏が展開したのは、まず原初段階ではどの文化圏でも「世間」で生きていた人類がそれぞれの歴史の中でいかに「社会」へと移行したか(していないか)という比較史観、であり。
↑これは面白そうと思いました。
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阿部氏とその著作についての知識を自分は殆ど持ち合わせていませんが、最近少しずつ読んでいるハーメルンの笛吹き男に関する本から観察する限りにおいては、本題の周辺を丹念に探索していくうちに本題が新たな意味をもって浮かび上がってくるような浮き彫り(?)的な手法を好んでいるのかなと思いました。
あと、何となくの印象•感想なのですがあまり踏み込んだ表現をお使いにならないような気はしますね……。
あくまで「事物•出来事自体に何があったかを語らせる」という方向性なのかなと思いました。 [参照]