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「でもカトリック教会は彼〔=聖パトリック〕を聖人と認定してはいません」との言について。

えーと、カトリック教会での、列聖 canonization (法王が聖人と承認する手続き)は史料初出が10世紀後半で制度化自体長いプロセスを経て、13世紀にグレゴリウス9世下でほぼ確立されたもの…

参考:Encyclopedia Britannica, "canonization - History".
britannica.com/topic/canonizat

聖パトリックをはじめそれ以前に崇敬を集めていた聖人は山ほどいて、カトリック教会は言うなればその現象を簒奪(が悪ければ吸収)したのであり、正式な列聖という儀式の有無にかかわらずきちんと認められています。「聖母マリア」も然り。

繰り返しますが、先に「聖人崇敬」があったのです。「カトリック教会の頂点たる法王による列聖」は後から作られたもので、それがないから何かいかがわしい(?)聖人であるかのように感じてしまうならば、的外れです。

私はクリスチャンではありませんが歴史屋として申し上げておくべき哉と。

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有難い指摘だと思いました。

以下は脇へ逸れつつ、ニュアンスについての想像です(※タラレバの多い話です)。

誰かが勝手に特定の人物を聖人化すると、「誰が聖人に値するのか(聖なる者であるという認定)という選考基準」に関して権威を持っているのか誰なのかという話になってくるような気はします(つまり教会なのか、世俗の権力者や民衆•信徒なのか)。

もし教会以外の誰かが誰かを聖人と認定するならば、それについて教会は秩序を乱す行為と捉えたのではないでしょうか。

多分聖人については管理が必要だと教会は感じていたのではないでしょうか。

もしかしたら何らかの混乱(例えば民衆•世俗の権力者が無闇に誰かを聖人視する等)があったのかもしれません。

その場合、自然のままに放置されていた聖人の認定を教会が重い腰を上げて管理し始めた……辺りがありそうな展開だというような気がします。

聖人を公的に教会が認定する仕組みの成立の背景には、教会の権威の確立というか再確認のような動きがあったのではないかと思いました。

ヘロデによる幼子殉教者(幼子のうちに殉教したが為に本当に聖人に相応しかったのか分からない)や、アウグスティヌス(人気があった為に自然(!)な流れで聖人となった)のように「昔」は聖人認定も緩かったのかもしれません🤔 [参照]

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