手話使用者のろう文化に見た、聴者との「異文化コミュニケーション」とは
https://natsuyo-speech.media/about-service/works/personal-coaching/signlanguage/
これが手話の詩(手話ポエム)です。
米内山明宏氏 手話ポエム (『LISTEN リッスン』素材より)
https://www.youtube.com/watch?si=rNomp2avOiIliJsy&v=LVmVfm_sSrQ&feature=youtu.be
#fedibird
#日本手話
#ろう者
QT: https://fedibird.com/@coff_glace/112859013659969088 [参照]
4日前、 ( ) の方で某弁護士の #手話通訳不要論 がTLに流れてきた。
この人は何が言いたいんだろうとツイートを遡って考えてみた。
以下、ツイートの一部を引用↓
・弁護士会でも手話通訳不要論を主張しています。AIによる自動字幕で十分。
・そうしたハンディキャッパーたちにどれだけのコストを払うのが適正かという視点は社会政策として必要。
・手話の言語としての進歩と洗練を考えるとやはり文学も詩も日記もない手話は劣る言語ではないのかな。
・機能的にも表現力の次元でも劣る言語だと思う。時制や動詞の活用や主語の入れ替え、比喩の伝え方等について想像がつかない。
この人は何が言いたいんだろう(白目)
> 「絶望しつつも、諦めない」
本当に大事なことだと思う。
マイノリティの身としては、1人の人間として見てもらえないという理不尽な目に何度も遭って、マジョリティ側のマイクロアグレッションを目にしては絶望して。
それでも、ここで諦めたら何もかもが終わってしまうという予感があって、ぐっとこらえる。
まずは、自分が黙々と行動して、周りに結果を示すようにする。
今、炎上している #手話歌 と、それに対して怒っているろう者を見た人たちの呟きに関する いち #ろう者 の考え(Instagramより引用)
私も、かなり共感しました。
https://www.instagram.com/reel/C4IY0NESIu4/?igsh=MTN0MmMwbWNmaTUyZA==
←口話で話していた頃
日本手話を身につけてから→
1人の ろう者である私からすると、自分の目に映る世界の解析度はこんなに違うと思う。
コーヒー氷にミルクを入れるとおいしい。/I'm Deaf