『女性差別はどう作られてきたか』性別二元論的で気になる記述
「女性差別」をテーマとする上で慎重であってほしい部分なんだけど、かなり素朴に“生物学的”性別二元論な記述があってちとつらい。
筆者本人ではなく引用する研究者の言葉もあるんだけど「生物として女性「である」という事実は現に存在し、その事実によって差別が生じる」、「性(「セックス」)を持たない人間は存在しないので」、「人類のふたつの肉体」などなど。ちょっとウッとなってしまった。
二元論が当たり前だった歴史を概観する本だからしかたないのかもしれないけど、だいぶ雑だし、せめてひとことシスでない人に関して記述がほしかったな、それがあるだけでずいぶん違うのにな……。
中村敏子『女性差別はどう作られてきたか』読了。なんかもやもやする結論だった。
筆者の主張のそこここに「日本の女性は西洋と比べて恵まれている」ていう観念を感じるからかもしれない。そりゃ西洋の女性差別は苛烈だろうけどもそれと比べて権利が保障されているとかは違うんじゃないか??終章で引用していたジェンダーギャップ指数の話と矛盾してないか???
日本の今現在を形作っている家父長制は明治期に西洋から輸入されて政府によって推し進められた、というのはわかったけども、それ以前の家制度があたかも男女同権の協同体だったかのような書き方には?????だった。
これを批判するだけの知識はないんだけど、絶対それ以前からあっただろ女性差別、そこんとこ詳しく教えてくれよ、とは思った。やっぱり不完全燃焼というか筆者の価値観にややイラっとしながら読み進める感じになった。
うーん。別の著者による同じテーマの考察が読みたい。
これの前に読んだ松沢裕作『生きづらい明治時代』とはずいぶん印象が違う。
どっちが本当かという話ではないと思うんだけれど、『女性差別は〜』はちょっとした言葉遣いとかから、女性差別について書くのにこの書き方は……と思うことが多くてなんか読んでてイライラした。なんだろうなこれ。西洋がひどいのはじゅうぶんわかったけど日本はマシだと主張されてるようでなんかそこを比較するのは違うのでは……と思った。マシだとする根拠もなんか違和感あるし。