元旦、ポストの上に地元の神社の御幣が置いてあった(何か神事があったらしい)ので、御幣はどこへ置いておくものなんだろうとググったところ、神様への捧げ物であったと。
しかも、最先端技術を神様へお供えしていたと。
今もその心が生きているならば、竹でスマホ挟んでYouTube流しとくのが正解かもしれません。
んで、神棚のない我が家は台所のスワッグに刺してるわけですが、近所のおばあちゃんちに行ったら、表の門松に指してありました。
違う地区の神棚写真をSNSで見かけた。
お正月モードの神棚はスルメと大根と干し柿が上から吊るされて、更に御幣が三本置かれてなかなかプリミティブで強烈なビジュアルだった。供えまくり。
神道学者が理屈で言うことと、現場神道はまた違うというか、理屈は別というか結果地域性のほうが勝るというか。
移住者なので分からないことは質問するようにしているのだが、作法的に伝えられているものは、やっている人に理由をきいても分からないことが多い。
理屈が抜けて作法が残り、伝言ゲームでズレながら現場都合でちょろっとづつ改変もされながら、「こうせな いかまぁ(こうしなければ ならないでしょう の意)」と続いている「伝統」。
こういうのを、民俗というのかな。
暮らしかた研究所 烏頭のおやま の所長です。
山に住んでいます。
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苦労するミュージシャン、スギムラリョウイチの姉。好きな毛虫はクマケムシ。
ここでは好きなことを言わせてくださいごめんなさい。