社協からの依頼で、消毒のために石灰を撒くというのもやったけど、あれはほんとに消毒になってたか怪しい。
でも、そこのお家のおばあちゃんは、良かった良かったと喜んでくれて、もう一回来て欲しいとアンコールまで頂いた。
どちらかというと、助けに来てくれたということが嬉しかったんじゃないかな。
苦難に見舞われた時、人は人を求めていると思う。
人にとって「いつも通り」とは、人の繋がりと、その営みが途切れていないことだから。
ボランティアする方も、実は同じで、平常モードになれないから「させてもらってる」ところもある。
繋がりと営みを作ることで、「いつも通り」に戻ろうとしている。
させてもらってる自覚は大事だけど、あとは多少ニーズとずれてても、混乱があっても、救われる人は必ずいる。
ザワザワした人間のすることを、逐一全部完璧にはできない。
SNSでのマウント取りのために批判するのは辞めてほしい。
国や行政も、この災害で急に完璧になるわけない。平時に仕組みを作ってこなかったのだから、避難所の環境は劣悪だし、現場は人が足りないし、混乱しているのを今すぐ直せない。
だからといって、「来ないで」では、全てが止まるだけだから、少し頭を使って、無理を通して、結果を出して見せておくれよ…。と思う。
東日本大震災のひと月後くらいに釜石へ行ったときは、すでにマンパワーフェーズは終わって、重機とトラックが走り回っていた。
被災した家の玄関付近に「解体お願いします」の張り紙がしてある。
更地に均したところに、サッカーコートくらいの面積に固めてガレキを積んでいて、それが幾つもある。
とにかく規模が大きくて、ほんとに人間なんか居ても何もすることがなさそうだった。
使われていない漁協の建物に行くと、死にそうな猫がいた。多分感染症で、呼吸が荒くて、もうすぐ亡くなってしまう。
仮設住宅での歌のコンサートをするというので、手伝いをした。
施設の代表の方は、
「足りないものはもうない。でも、こういう催しをしてもらうのは初めてで、気にかけてくれるのが有難い。」と言ってくれた。