人格から証言を剥ぎ取って、言葉だけを再構成するってこと?
物語を描くときはたしかに、作家側には集めた情報を再構築するプロセスがあるけど…
そこは再構築する作家側に人格があって、「リアル」とはそこに担保されているのでしょう。
読む側は作家の視点を通して、物語を味わい、「リアリティ」を感じる。
そこで感じる切実さも欺瞞も、作家に依拠する。
生成AIは作家じゃない。
文章を作成した後、なぜそれを書いたか、AIはもう説明することができない。
自我、人格という輪郭を持たないので、理由が生まれない。過去や未来と接続しておらず、常に現在の情報を組み換えるのだけなのだから。
人格をもたない生成AIに再構築された「証言」。そこに、受け取る側が感じる「リアル」は、他者の人格を通さない「リアル」である。
そのリアリティは自分の人格に依拠するのみになる。
それは「リアル」だろうかね。
すでに知っている感覚の再構築なんじゃないかね。
リアリティとはなにか?というテーマだとすると、面白い取り組みだと思う。街なかの日常会話を集めて、「新たなリアル」を表現するだけでも、かなりアートとして機能すると思う。
でも、この題材を扱うのは危ない。
そこには、剥ぎ取ってはいけない他者の人格がひしめいているのだから。