『國語元年』。
こまつ座の舞台も(テレビで)見たし戯曲も読んだけど、どっちもおもしろいです。
「国語」を立ち上げるということの暴力性を作品化する、という発想がまず、おもしろいんですよね。
「国語」は、いろんな言葉をしゃべっていた日本各地の、元々は誰の言葉でもなかった人工的な創造物であったということ。
その暴力性のなかで苦心して作った誰かがいたということ。
(そして、その作り上げられたものが植民地など、やまと以外のひとたちに押しつけられた「日本語」になった)。
そこにあって当然だと思っていたものがそうではなかったのだということをあらためて突きつけられると、当然視していた自身の「暴力性」に、はっとします。
(一応、作者が配偶者に対する暴力の人だった、とかそういうツッコミの余地はあるわけですが)。