「第三世界は郊外に始まる」
(サルトル全集『シチュアシオン8』)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1699125/1/114
で、フランスの経済システムが都市郊外に住む移民を安い労働力として搾取して成り立っていること、そしてそれは(以前の植民地を失った代わりに)フランス国内に新たな植民地を作っているようなものであること、をサルトルが指摘してからすでに半世紀。
かつて郊外に移り住んできた移民の子や孫の代になっても、彼らは社会の主役になれず、周縁化されつづけています。
彼らが「主役」級の扱いになるのは、映画の題材にされるときだけ。
(例えば、「憎しみ」(1995年)、「ディーパンの闘い」(2016年)、「レ・ミゼラブル」(2019年)、「アテナ」(2022年)など)。
しかしどの作品でも、彼らに与えられるのは、カオスのような現実を生きるしかない、「出口なし」の結末のみ。
「お話」のなかですら、問題解決の可能性が示されることはほとんどありません。
勿論、映画「最強のふたり」のように(明るく、努力家で、幸運な)移民系の若者が”うまくやっていく”例外的な物語もあります。
でもそうしたお話が幸福な例外にすぎないことは
飛幡祐規さんのパリ報告
http://www.labornetjp.org/news/2023/0705pari
などを読めば明らかです。