95歳在韓被爆者 手帳申請できず死去「一日として安らかな日なく」 毎日新聞
「2022年12月11日、「長崎で被爆した」と訴える95歳の韓国人男性が被爆者健康手帳を取得できないまま死去した」
「韓国中西部、忠清南道天安市の呉尹相(オユンサン)さん。呉さんが1986年に韓国原爆被害者協会に登録した際の申請書などによると、43年6月ごろ、釜山から下関に渡り、印刷所で働いた後、長崎市の三菱重工長崎造船所に徴用された。当時は「福田一郎」という日本名を名乗っていた」
「 45年8月9日に長崎で被爆し、左足のかかとに何かの破片が突き刺さった。46年秋に帰国した後も傷はうずき、かかとにできたこぶを自分でカミソリで毎日削って働いた。痛みが強くなり、「足を切断するしかない」と診断され、78年に左ひざから下を切断」
「 戦後、呉さんは足の痛みに耐えながら、うどん屋や家具製造の仕事をし、妻が行商で生活を支えた。足を切断してからは、家でスケトウダラの干物を作った。夫婦ではらわたや骨を取って広げて干し、娘たちも600匹の皮をはいでから登校した。
呉さんは86年の登録申請書に「今日まで一日として安らかな日はなかった。この恨みをどこにぶつければいいのか」と記していた」