平賀源内『風流志道軒伝』巻一より

つゞみのヤツハア、太皷のテレツクスツテンゞとんと上手に成おふせても耳へ入てぬける間の楽にて、名の不朽に伝べきにあらず。其外俗の芸と云は皆小児の戯なり。

只人の学べきは学問と詩歌と書画の外に出ず。是さへ教あしき時は、迂儒学究がくきうとて上下を着て井戸をさらへ、火打箱で甘藷を焼、唐の反古にしばられて我身が我自由にならぬ。具足の虫干見るごとく四角八面に喰しばつても、ない知恵は出ざれば却て世間なみの者にもおとれり。是を名付て腐儒といひ、また屁へッぴり儒者ともいふ。されば味噌のみそくさきと学者の学者くさきは、さんゞのものなりとて、

又是を見破たる先生たち宋儒の頭巾気ととなへ出せし卓見も、角を直さんとて牛を殺す。其末流の木の葉儒者には、猪牙に乗てひちりきを吹ふき、三絃に唐音を乗のせ、甚しきに至ては天下を運す掌の内にお花とやらをめぐらする言語同断の学者も有よし。
是皆中庸を知ざると鼻毛をぬかざるより起りたるたはけなり。唐は唐、日本は日本、昔は昔、今は今なり。三代といへども礼学は同じからず。立て供するが礼なりとて、今貴人の前で立れもせず。聖人の政なりとて井田の法を行ば、百姓どもには安本丹の親玉にせられなん

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これ後半は徂徠への批判であってるよね とうの昔に誰か解説書書いてると思うんだけど... いや探せや

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