今更『ジョーカー』(2019年)初見感想
公開中の続編『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』の予習として鑑賞。
まず映像美は素晴らしく、主演を務めたホアキン・フェニックスの役作りは圧巻。特に表情の作り方、動かし方がすごく、人間の表情筋ってこんなに動くんだ!という驚きがある(褒めてます)。繰り返し出てくる、泣くように爆笑する演技とかもマジですごい。
ただストーリーは賛否両論なのも納得で、私ははっきりと否だった。有害かどうかは置いとくとして作品の自意識が気持ち悪すぎて乗れなかった。
現実と"ジョーカー"ことアーサーの願望が交錯するストーリーなのだけど、話の根幹をなす"現実"である「電車でムカつく富裕層を殺したらヒーロー視されるようになった」という部分があまりにもリアリティがない。そんなわけないじゃん。どんだけ自己像が歪んでんだよと思った。→
今更『ジョーカー』(2019年)初見感想 ここから悪口
なんつうかね、あえて"弱者男性"という言葉を使いますけど、そういう自意識のある人って"社会でうまく行ってる奴をつぶして祭り上げられる"ジョーカーのような人生に憧れつつ、一方で自分は"社会で上手くいってない奴"のことは超絶ばかにしてるわけです。社会が"弱者男性"を見捨てるのと同じかそれ以上に、"弱者男性"は他者、とりわけ弱者を見捨て軽視しバカにしている。
だから現実に"弱者男性"のような層がヒーロー視するのは、富裕層を殺す人間じゃなくて障害者を大量殺戮した植松のような人間でしょ。"弱者をさらに徹底的に踏みつぶす存在"こそを本当は求めているくせに、自分は富裕層=権力をつぶしてヒーローになることに憧れる。とてつもない自己矛盾があるわけです。で、『ジョーカー』って映画はそう言う矛盾に全く気付いていない作りだと思いました。
バーカ!インセルが義賊的な人間に共感なんかするわけなんだろ!