ヴィーガニズムに賛成するってどういうこと?
なぜなら、動物の置かれた状況、それを作り出すシステムに極めて強い衝撃を受け、こんなことは今すぐやめるべきだ、二度と加担したくないとの思いからヴィーガニズムに賛同するのが一般的だったからです。
自分が倫理的に悪いと思っていることに加担するのは、何より自分自身が苦しいものです。問題は個人ではなく加担しなければ生活できない社会システムであり、否応なく加担させられてしまうことこそがおかしいのだと分かっていても、自分がその歯車の一部として加担していることは事実だし、その事実は不快と苦痛を伴います。だから自然と減らすための実践をしたくなった、せずにはいられなかったでしょう。
私自身は(非常に月並みな)様々な事情によって動物搾取への加担を少ししか減らせていませんが、それはまず何より私にとって嫌なことです。 だから正直、"ヴィーガニズムには賛成"だけど実践には興味がなく、なんならSNSで積極的に動物搾取の写真を共有せずにいられない、そのような積極的な加担ですら批判されると大変不快で不当で理不尽で過剰に思える、というような状況がよくわかりません。それはもう、搾取に加担したくない/すべきでないという前提がすっぽり抜け落ちていないでしょうか?→続く
ヴィーガニズムに賛成するってどういうこと?
ヴィーガンに嫌がらせのリプライを送ったり、ヴィーガンデモに対抗して肉食デモをやる人たちがSNSで顕在化したことによって、アンチヴィーガンを批判する声は確かに以前より高まったと感じます。
しかし、ヴィーガニズムとはアンチヴィーガンを批判することではありません。ヴィーガンに優しくすることでもありません。動物搾取に反対し、できる範囲で動物搾取を無くす/減らすことがヴィーガニズムに賛同することです。
ヴィーガンをいじめるのはダメだけど、動物の利用は必要だしわざわざ動物製品を避ける気はないなぁと考えている人は、ヴィーガンの人権は大切だと思うけど動物搾取は問題ないor必要悪だと考えている人であって、それをヴィーガニズムに賛成してるとは言わないんじゃないの?と私は思います。動物搾取を前提とした社会を容認し、動物搾取に反対しないことはヴィーガニズムに反するのだから。
そして、写真投稿への批判は「些細なことにまで口を出す過剰な行為」と思われがちだけど、ヴィーガン側からすれば明らかに容易にやめられる搾取(動物搾取の推奨)のひとつであって、それすらやめられない、批判すら許せないというのは、その方が狭量に思えるでしょう。